メイン

2008年09月30日

レーシックの大衆化だってさ~。

今月、私の知人Mさんがレーシックを受けるという。
このMさん、 顔が広い。

Mさんが手術を受け、その快適さを「自慢」するようになったら、
そう遠くない将来、これまでレーシックに距離を置いていた人たちの、
レーシックに対する敷居は下がらざるを得ないだろう。

人には200人~300人の知り合いがいるという。
この輪の中に レーシック体験者がある一定数を超えると
その人にとって、レーシックは「当たり前」になる。

知人にレーシック体験者が0人⇒「レーシック」を知らない。
知人にレーシック体験者が1人⇒「レーシック」という言葉を聞いたことがある。
知人にレーシック体験者が3人⇒「レーシック」が何かは知っている。
知人にレーシック体験者が5人⇒「レーシック」をやったときの自分を想像する。

知人にレーシック体験者が?人⇒「レーシック」をやってみる。


Mさんがレーシックを受けることで
Mさんのまわりにいる数百人がレーシックに接近していく。

「無知」から「先入観」、「思い込み」、「恐れ」、「誤解」、「無関心」などを経て、
最終的にメガネ、コンタクトレンズの地平の彼方にある「当たり前」へたどり着く。

レーシック体験者が一人増えるたびに、まわりの数百人にその影響が波及し
その波紋はレーシックに対する敷居を削り、なだらかにしていく。

レーシック体験者がある一定数を超えたとき
「百匹目の猿現象」が生じレーシックを知らなかった人たちの間にまで広まっていく。

レーシック大衆化のきっかけとなる「百人目」のレーシック体験者は
Mさんかもしれない。